活発化するe-ラーニング
e-ラーニング(e-Learning)がここ1-2年、米国で活発になってきている。e-ラーニングとは、電子メディアとネットワーク(中でもインターネットが中心だが、衛星通信なども含む)を使用し、ラーニング(教育、トレーニングなど)をより効率的に、融通性を持たせ、個人レベルでのパーソナリゼーション等を実現するものである。e-ラーニングには大きく学校に関連したものと、企業に関連したものがあるが、ここでは、企業に関連したものを取り上げることにする。
e-ラーニング発展の背景としては、技術的なものと、ニーズからくるものがある。技術的な面では、パソコンの高速低価格化に加え、インターネットの大きな広がりが寄与していることは言うまでもない。今後さらにネットワークのブロードバンド化(高速化)、さらに無線通信技術の広がりが予想され、e-ラーニングを可能にする技術的な背景はどんどん整ってきている。
しかし、もっと重要なのは、e-ラーニングに対するニーズの広がりである。インターネットによってもたらされたe-エコノミーでは、スピードがビジネス成功の大きな鍵である。これをラーニングという面で考えると、社内教育一つとっても、従来から行われているクラスルーム形式のものでは、そのスピードについていけない。クラスルームによる教育では、教育プログラムの開発、資料の作成、そして実際のクラスの開催となる。ここまで来るにもかなりの時間を要するが、さらに必要な人間をクラスに出席させ、その教育が必要な人材すべてに行き渡るまでには、またさらに長い時間がかかる。このようなことをやっていては、とても1年が通常の7倍で進むといわれるe-エコノミー下では、競争に負けてしまう。そもそもクラスルームで教えている内容が、全員の教育が終わるまでに古くなってしまうことすら、しばしばである。
このように、クラスルーム形式によるラーニングでは、もはや企業はやっていけないところまで来ている。ラーニングは、ほしいとき、必要なときに受ける必要がある。ずっと以前、トヨタが製造に必要な部品を必要な時点で調達するカンバン方式が話題になり、これを英語では"Just-in-time"製造方式などと言ったが、ラーニングの世界で、まさしくこの"Just-in-time"を実現してくれるのが、e-ラーニングというわけである。私の勤務するAtomicTangerine社の兄弟会社の一つであるSRIC-BI社では、これをラーニング・オンデマンド(Learning
on Demand)などとも呼んでいる。
企業によるe-ラーニングの広がりは単に社内教育にとどまらない。インターネットによるe-エコノミーは、社内の情報システム改革ではなく、企業と顧客、販売チャネル、サプライヤー、パートナーなど、あらゆる外部組織とのビジネスのやり方を変革してきている。そして、これら企業の外側にいる組織を含めた情報の共有、ビジネスのやり方の共有などが、新しいe-エコノミーにおける大きな成功要因のひとつである。
企業の提供するサービスはどんどん多様化し、新しい製品やサービスが出てくるサイクルが非常に短くなってきている。例えば、金融業界では新しい金融商品やサービスをどんどん提供することが、競争を勝ち抜くためのキーとなっている。これらを営業担当の社員などにいち早く広めることは必須である。
また、社員のみならず、代理店などを利用して商品やサービスを販売している場合、これら代理店担当者にも、新しい商品やサービスの知識を早く徹底させる必要がある。いかに販売代理店などの販売チャネルとスムーズに連係して販売していけるか、その情報やビジネス方式の伝達にe-ラーニングは強力な武器となっている。
サプライ側を見ても、サプライチェーン・マネジメントを実施する場合、サプライヤーなどのパートナーといかにうまく情報共有できるかが、成功の鍵を握っている。さらに、最終顧客に対するe-ラーニングの適用も、販売促進や問い合わせの軽減に効果が大きい。
このように、米国企業のe-ラーニングは、幅広い社外のパートナーへのラーニングに広がってきているのが大きな特徴である。ネットワーク機器メーカー、Cisco Systems社のJohn Chambers会長は、しばらく前から、e-コマースの次はe-ラーニングであるといってはばからない。
e-ラーニングのメリットは、いろいろあるが、ここで整理してみると以下のようになる。
・ コスト削減(交通費など)
・ ビジネス機会損失の回避
・ 必要なときに必要なトレーニングが受けられる("Just in Time", "Learning on Demand")
・ いつでもどこでも実施可能
・ 最新の内容によるラーニング
・ 対話式による効果的ラーニング
・ パーソナリゼーションによる受ける側のペースによるラーニング
e-ラーニングを利用することにより、クラスルームに人を集めて実施するラーニングに比べ、交通費などのコストが削減されるのは明らかであり、最もわかりやすく数字で把握できるメリットである。米国のある情報通信メーカーでは、1999年にe-ラーニングによる交通費などの削減だけで、200億円以上に達していると報告している。コスト削減は、このように極めてわかりやすいe-ラーニングのメリットであるが、これは、氷山の一角に過ぎない。むしろ本当のメリットはもっと他のところにある。
ビジネス機会損失の回避もその一つである。社員はクラスに出席するために貴重な時間を使うため、特に営業関連スタッフなどのトレーニングの場合、その失われた時間によるビジネス機会の損失は多大なものである。数字的に出しにくい面もあるが、企業にとって大きなe-ラーニングによる効果である。
すでに述べたように、必要なときに必要なラーニングが出来るのも、e-ラーニングの大きな特徴である。製品の保守要員のトレーニングを考えた場合、これは顕著なメリットである。何か新しい製品の保守作業が必要になったとき、e-ラーニングであれば、その前日にでもトレーニングを実施すれば、その保守作業に間に合うだけでなく、直前に行うため、新鮮な記憶をもとに作業が効率よく実施できる。これに対し、これをクラスルーム形式で実施する場合には、あらゆる製品の保守について事前にトレーニングを受けておく必要があり、その多くは無駄になる場合も多い。また、これから無線通信技術を使ったブロードバンド通信が広がってくると、保守作業中にもオンデマンドで、必要なトレーニングを受けることも可能となる。e-ラーニングは、いつでもどこでも、最新の内容で実施が可能ということになる。
また、e-ラーニングは対話式で実施可能なため、クラスルームなどの一方通行方式と異なり、その学習効果の向上が期待できる。最近ではゲームやシミュレーションなど、エンターテイメント的な要素を加え、さらにその学習効果を高めている。
対話式であることに関連して重要なe-ラーニングの機能に、パーソナリゼーションがある。クラスルームでは基本的にクラス全員に同じことを同じペースで教育するが、出席者の知識レベルやバックグラウンドはバラバラである場合がほとんどである。つまり、ある人には講義内容の多くは既に知っていることであったり、自分の仕事に直接関係しないものであったりして、無駄な時間を過ごすことも多い。一方、別な人には、クラスのペースが早過ぎて内容が十分把握できなかったりする。e-ラーニングでは、自分のレベル、バックグラウンド、ペースに合わせてパーソナライズされたラーニングが実施出来るので、極めて効率が高い。
このようにメリットの多いe-ラーニングであるが、問題点がないわけではない。大きな問題点は、以下の2点である。
・ 不十分な高速ネットワーク・インフラストラクチャー
・ テクノロジーについていけないユーザーの存在
1つ目の問題は、今日現在問題ではあるが、近い将来解決されていく問題である。しかし、今すぐにe-ラーニングを導入しようという企業は、学習効果が最も高いと思われるビデオの利用などに必要なブロードバンドのネットワーク・インフラストラクチャーが、コストに見合った形で確立できるかどうか、事前に確認しておく必要があるし、多くの場合、使用可能なネットワーク・インフラに合わせた形でのe-ラーニング・システムを構築しないと、うまくいかない。将来は無線通信技術を使った、いつでもどこでも可能なe-ラーニングが実現するであろうが、これも、e-ラーニング実施のタイミングと、ネットワーク・インフラの整備状況をにらみながら構築していく必要がある。
いずれにしても、この第1の問題は、時とともに次第に解決されていくことは明らかである。問題なのは、第2の点である。
情報通信関連企業のような場合であれば、日本でも社長から新入社員まで、みなコンピューターを抵抗なく使い、このような企業でe-ラーニングを展開することは、比較的容易であろう。しかし、他の一般企業では、そのようにいかない場合がある。コンピューター利用が進んでいる米国でも、特にブルーカラー・ワーカーなどにe-ラーニングを展開するのは、要注意である。もしテクノロジ-についていけないユーザーにe-ラーニングを押し付けたら、その効果が出ないばかりか、マイナスが出るばかりであろう。したがって、e-ラーニングを展開していく場合、ユーザーの受け入れ可能度を十分に確認した上で実施しないと、成功へとつながらない。
また、いろいろな調査からも、ラーニングには、人と人が向き合って実施する部分が必要であるという意見は、コンピューターを使いこなしている人達を含めても、大勢である。従って、e-ラーニングを既存のラーニングのやり方の代わりと考えるのは間違いである。あくまで補完的なものとして、既存のラーニングのやり方と共存させることが最も大切である。e-ビジネスが既存ビジネスに取って代わるのではなく、お互い補完し合い、本当の意味でのクリック・アンド・モルタル企業となっていくのがこれからの方向であるということは、前回のレポートで述べた。ラーニングの世界でも全く同様で、いままでの、人と人が向き合って行うラーニングと、新たなe-ラーニングをうまく融合した、ラーニングにおけるクリック・アンド・モルタル・モデルが成功の鍵と言える。
米国では、e-ラーニングがいよいよ開花する時期を迎えている。そして、これからの高速ネットワーク・インフラの整備、ブロードバンド無線通信の広がりとあいまって、大きく広がっていくであろう。また、いわゆるひとりでパソコンに対面しながら行うe-ラーニングだけではなく、複数の人間がインターネットを経由して、グループでラーニングを行っていくケースも増えていくと予想される。
e-ラーニングは情報の共有に深くかかわっており、情報共有はナレッジ・マネジメントにも繋がっている。いまのところ、それぞれが別な形で進んでいるが、いずれ近い将来、この2つが融合してくることが予想される。e-ラーニングとナレッジ・マネジメントを効果的に使うことは、今後、企業競争力の差別化要因となってくるに違いない。
日本でのe-ラーニングはまだこれからという段階である。しかし、インターネットによる教育市場は2010年には1兆円に達するというNTTデータ経営研究所の予測もあり、今後の発展は期待できる。
ただ、日本の場合、米国ほどコンピューター・リテラシーという面で進んでいるとは、必ずしもいえないので、e-ラーニングをうまく立ち上げ、成功させるには、コンピューター・リテラシーの比較的高いユーザー層に使われるアプリケーションから実施していくことが肝要である。
黒田 豊
(2001年6月)
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