影の薄くなったメタバース、その先にあるもの
メタバースについて、前回コラム記事を書いたのは2021年12月、タイトルは「メタバースはインターネットの次の段階か?」だ。このときは、Facebookが2021年10月28日に社名をMetaに変更し、これからメタバース事業に注力すると言ったときで、世の中全体も、今後メタバースが大きな市場になるだろうと、大きく取り上げた。それから1年半ほどたち、メタバースはどのように発展してきたか。
しばらくの間、世の中の話題にはなっていたが、残念ながらあまり発展していない、というのが現実だ。どんな技術的な流行りも、最初大きく騒がれ、その後落ち着いてくるハイプカーブというものを描く場合が多いが、メタバースについては、そのカーブの頂点を過ぎ、かなり下降して、現在は大きな話題から遠ざかっている状況だ。実際、新聞などでメタバースという言葉を見ることは、近頃ほとんどない。
最近、目に留まったのは3月末の記事で、DisneyやMicrosoftがメタバース事業から撤退した、という記事だ。Disneyの場合、メタバース戦略を担当していた部門を解散してしまった。Microsoftは、Social Virtual-Reality
Platformと言われているものをシャットダウンした。Microsoftの場合、以前から研究開発しているホログラム技術があり、メタバースから完全に撤退するという言い方はしていないが、当面注力する分野からは、はずされたという感は否めない。いま、IT系企業の多くは、コロナ禍で採用し過ぎた人員の調整期にあり、メタバース分野が人員削減のしやすい領域になっている。
すでにいくつかのメタバース、仮想世界を構築し、その中で土地の販売などを行ってきた企業もあるが、その土地の値段も大きく暴落している。その中の一つ、Decentralandでは、土地の平均価格が1年前に1平方メートルあたり$45くらいだったのが、いまは$5前後と90%近く低下している。
1年半前に、あれほど大きく騒がれていたメタバースに、一体何が起こったのか。メタバースに参加するために必要となる、VR(Virtual
Reality:仮想現実)ゴーグルの価格が高いこと、技術的にまだ問題がいろいろあること、そして、物価高や利上げによる景気後退など、いろいろな原因が取りざたされている。これらも確かにユーザーがメタバースから遠ざかる原因ではあるだろうが、私は、もっと大きな原因は、次の2つにあると考えている。
ひとつは、昨年11月末のOpenAIのChatGPTの出現により、世間の注目がメタバースではなく、生成AIに向いてしまったこと。もう一つは、前回のメタバースについてのコラム記事でも書いたように、20年ほど前からあるVirtual Worldの状況と、今回のメタバースの状況があまり変わらず、結局それほど多くのユーザーがメタバースに飛び込もうとしなかった、という点だ。
1つ目については、すでにこの3月のコラムで書いたように、ChatGPTをはじめとする生成AIは、これまでの流行りとはレベルの違う、世の中に大きな変化をもたらすもの、ということがある。そのため、人々の注目が生成AIに向けられ、メタバースへの注目度が大きく低下した。企業側も、メタバース関連事業に注力するよりも、生成AI関連に注力することを選んだ。
会社名まで変更したMetaですらそうだ。2月の投資家向けイベントで、MetaのZackerberg CEOは、2023年を「Year of Efficiency」にすると述べ、メタバースへの投資は継続するものの、これは長期的なものと位置づけ、短期的にはMetaもAIに注力すると明言している。Metaの構築したメタバースであるHorizon
Worldsも、最初の1年でユーザーを増やしたり、維持することが難しい状況ということもあり、投資家向けのスピーチでAIについて言及したのが28回に対し、メタバースについては7回だけだった。
20年ほど前にSecond LifeによるVirtual Worldが騒がれたとき、それに冷や水をかけたのは、Facebookの急激な広がりだった。今回は、そのFacebook(現Meta)が仕掛けたメタバースに、ChatGPTを含む生成AIが冷や水を掛けた格好だ。生成AIが、メタバースの発展にマイナスに働いたことは間違いないが、本当にそれだけか、この点も疑問に残る。
それが、私の考える2つ目の理由で、そもそも現実世界ではない、仮想世界であるメタバースに入り込んで、買い物をしたり、イベントに参加したり、知らない人々に会うことに興味のある人達は、それほど多くない、という現実があるではないか、という点だ。このことが、20年前のパソコン上のVirtual
Worldから、VRゴーグルを使った、よりImmersiveなメタバースの世界になっても、大きく変わらなかった、ということだろう。ただ、1年半近く前のコラムでも書いたが、Second
Lifeはなくなってしまったのではなく、いまでも100万人近くの人が使っている。このような仮想世界が居心地がいい人が存在することは、間違いない。しかし、世の中の大多数の人が現実世界ではなく、仮想世界のほうがいいとは思わない、ということではないかと思う。
さて、このように影の薄くなったメタバースだが、私はここに使われている技術は、今後もどんどん発展し、利用されていくものと考えている。メタバースは、VRなどを使って仮想世界を作るものだが、そこまでいかなくても、VR技術を使ってさまざまなことができる。現実にいろいろ試すことが難しいものに対するシミュレーションは、そのいい例だ。たとえば、工場建設や、オフィス・レイアウトを新しくし、その使い心地などを検証するために、VRを使ってシミュレーションすることは、大いに役立つ。また、医療現場での手術の事前シミュレーション、あらゆるものの教育のための、実地トレーニングのVRシミュレーションによる実施など、数多くのことへの利用が考えられる。
実際の現実と同じものをデジタルの世界で構築するデジタル・ツインも、その構築や利用の手間とコストが今後低下していけば、その利用価値は高い。遠隔地にいる人とのコミュニケーションも、これらの技術を使えば、より現実に対面しているのに近い感覚で行えるようになるだろう。VR、AR(Augmented
Reality:拡張現実)、ホログラムなど、メタバースや関連分野に使われる技術は、何もすべてを仮想世界にしなくても、部分的に十分使える、大いに有効な技術だ。メタバースでなくても、これらの技術の発展と、その応用分野には、今後とも大いに期待したい。
黒田 豊
2023年5月
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