新たなイノベーションをめざして

新年明けましておめでとうございます。

昨年は、年末にかけて、米国発の金融危機から世界全体の株価暴落、経済低迷と、世の中は厳しい状況にさらされているが、後ろ向きにばかりなっていてはこの危機は乗り切れない。危機とは、「危」(あぶない)であると同時に「機」(チャンス)でもあるという前向きな姿勢が大切だ。また、危機のときこそ、日ごろの改善レベルの活動では不十分で、新たなイノベーションが生まれやすいとも言われる。

イノベーションということで思い出されるのは、昨年暮れに出席した、米国で「The Demo」と言われる歴史的な技術デモの40周年記念行事だ。この「The Demo」と呼ばれるのは、1968年12月9日に、サンフランシスコで行われた、当時SRI InternationalにいたDoug Engelbartとそのグループによる、コンピュータ・マウス、グラフィック・ユーザー・インターフェース(GUI)、ハイパーテキスト、ビデオコンフェレンス、画面やマウスを共有するコラボレーション等の一連のデモだ。

今、この内容を聞くと、単に今われわれが使っているもののデモのようだが、これが40年前に行われたのだから、人々の驚きは尋常なものではなかった。なにせコンピュータといえば、クーラーを聞かせた部屋に大きなメインフレーム・コンピュータを置き、それを人々が共用していた時代だ。私が日本IBMに入社したのが1973年で、そのときコンピュータのメモリーサイズは、小さいものでは32KB、現在皆さんの使っているパソコンは2GBくらいのメモリーサイズとして、その6万分の1以下、磁気ディスクも、現在皆さんの使っているパソコンは100GBくらいとしても、メインフレーム・コンピュータ用の大きくて重いものが100MBくらいで、その1000分の1という時代だ。コンピュータの使い方も、ネットワークを介さないバッチ処理方式が中心で、ネットワーク経由で一部使われはじめたタイムシェアリング・システムも、テキストのみだった。そんな時代に、とんでもない未来志向のデモをやったことになる。

その後、Xerox社がマウスとGUIを使ったシステムを開発したが、高価なシステムだったために世の中に広がらず、Apple社がそれをMacintoshパソコン(Mac)として1984年に世の中に出して、はじめてマウスとGUIが広がり出したのだから、そこまでくるまでにも、このデモから15年はかかっていることになる。この記念行事に来ていた、当時を知る人々の話でも、40年後の今日でさえ、まだ十分にその当時のデモを実現するようなものは出来ていない、という話だ。

今、このデモから学ぶべきものは、このようなすばらしいイノベーションがどのようにして始まり、広がっていったのか、ということだ。それにはいくつかの要因が挙げられる。
― ビジョンとパッション
― 継続させる戦略的アプローチ(bootstrap)
― 突飛なものをつぶさない会社、上司
― 突飛なものを支持する資金提供

最初のビジョンとパッションは、このときのDoug Engelbartのように、一人の天才的な人による場合が多いかもしれない。多くの人が集まって、何かイノベーションを、などと議論しても、目先の小さなイノベーションは生まれても、飛躍的なものはなかなか出て来ない。将来を見据えた明確なビジョンを持ち、それに向けて進むパッションのある人間の存在が大きい。彼のビジョンはマウスやGUIを実現する、というものではなく、それらはあくまでも手段であり、彼のめざすところは、複雑な、緊急を要する問題を解決するために、いかに人々の英知を結集するか、ということだ。英語で言うと、Collective IQ(またはCollective Intelligence)をいかに高め、Human Intelligenceを補完(augment)するかだと述べている。以前、彼と直接話したときに、彼が「今、コンピュータやネットワークで実現できていることは、自分の考えていることのほんの一部でしかない」と言っていたのが印象的だ。

次に、そのようなものは、一度に実現できるものではないので、その考えを、そしてその実現に向けての活動を継続させる戦略的なアプローチが重要だ。Doug Engelbartが提唱しているのは、bootstrapという考え方だ。これは、最初に何か小さなもの(小さなツール)を作り、それをもとにより大きなもの、進化したもの(ツール)を作る、そしてそれを繰り返す、という考え方で、イノベーションに限らず、その使い道は幅広い。このようにして、彼の考える「Collective Intelligence向上」の道はまだまだ続く。彼が主催するDoug Engelbart Institute(www.dougengelbart.org)は、以前はBootstrap Instituteと呼ばれていた。

上の2つはイノベーションにとって大変重要なことだが、イノベーションを実現するためには、周りの協力も重要だ。そもそもEngelbartが考えるようなイノベーションは、当時の人にとっては、とても突飛なもので、凡人には理解しがたく、非現実的に見え、その結果、つぶされやすい。そこで、このようなものをつぶさない会社、上司の存在が重要となる。実際、その当時Engelbartのプロジェクト・チーム・メンバーで、Stanford大学博士課程にいた人間は、自分が参加しているこのプロジェクトについて博士論文を書こうとしたところ、担当教授に、これはあまりに非現実的過ぎるからテーマを変更しなさいと言われ、実際変更せざるを得なかったという。このような非現実的と思われるプロジェクトを容認したSRI Internationalの存在も、このイノベーションにとって重要であった。

しかし、SRIだけですべての必要な資金を準備する力はなかったので、Engelbartは外部からの資金調達に走り回り、ようやくEngelbartのプロジェクトに興味を持ち、資金を出してくれたのが、最初はNASAの研究所におり、その後米国防総省下のAdvanced Research Project Agency(ARPA)に移ったRobert Taylorという男だ。この人の名はあまり知られていないが、彼がEngelbartのプロジェクトに資金を提供していなければ、この1968年のデモは恐らく実現しなかっただろう。その意味で、この男の存在も、また極めて重要だった。余談だが、このEngelbartのプロジェクトへの資金提供を監査する政府の役人が、もしこのデモが失敗したら、自分が関わっていたことを誰にも言わないでくれ、と言ったという話もTaylorの話の中に出ていた。

ここ数年、日本でもイノベーションの必要性が叫ばれ、いろいろな活動が企業の中でも始まっている。人を集めてイノベーションを検討するのもいいが、Doug Engelbartのような人間が自分の組織の中にいないか、そしてその人の考えをつぶしてしまったりしていないか、必要な資金を提供しているか、といったことを見直すことも必要だろう。時代を超えたイノベーションは、ときに突飛に見え、非現実的に見えるが、そこにこそイノベーションの種は潜んでいる。イノベーションなくして本当の成長はないということを忘れてはならない。

  黒田 豊

(2009年1月)

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