新しい波となるか ― Google Wave
Googleが新しいサービス、Google Waveを、ソフトウェア開発者を中心とする招待者(約10万人)に発表した。今回は、まだ招待者向けなので、一般の人は使えないが、新しい形のサービスとして注目されている。
Googleの説明によると、これは新たなリアルタイムのコミュニケーションとコラボレーションのツールである。1対1の通信をベースに作られたEメールに、リアルタイムのインスタント・メッセージング(IM)、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、Wikiなどの要素を加えた、新しいツールだ。Eメールを新しく作り直したという意味で、E-mail
2.0などと呼ぶ人もいるが、私は後で述べるように、この呼び方には賛成できない。
私は招待された一人ではないので、実際にWaveを使ってみたわけではないが、Googleの提供する1時間あまりの説明会ビデオを見ると、大体のことはわかる。私の見たところ、これはなかなか面白いコラボレーション・ツール、という印象だ。何人かの人が1つのテーマにそって相談する、あるいは何かを構築するという場合に、結構いいツールになると思う。具体的には、仲間同士で旅行の相談をするときや、複数の人がコラボレーションしながら、報告書やプレゼンテーションを作成するときなどは、便利なツールになる。
Waveで提供される機能を見ると、例えば、最初に2人で会話していたところに別な3人目の人が遅れて入ってきた場合、プレーバック機能でそれまでの会話の流れを順々に見ることができる。また、誰かがコメントしている間、そのコメントが終わるまで待たされるのが通常のIMなどだが、Waveではリアルタイムに誰かがコメントを打っている途中でも、他の人もコメントを打つことが出来、お互いにそれを見ることができる。自然に会話しているのと近い形だ。音声通信の世界でいうと、昔のトランシーバーのような一方が話をし終わったら、相手が話せる、という単方向モードから、双方向モードの通常の電話に変わったようなものだ。さらに、会話の途中でウェブから地図を取り出してWaveのやりとりに貼付したり、写真を貼り付けることなども簡単だ。これらの機能を見る限り、コラボレーション・ツールとしては面白いもの、というのが私の印象だ。
米国でのGoogle Waveに対する反応を見ると、「Wave of the Future」(次世代の新しい波)というポジティブなものから、「Google Wave crashes on beach of
overhype」(大袈裟に騒ぎすぎのビーチで、波(Wave)が潰れてしまう)と酷評するものまでさまざまだ。これは、このWaveをどのように使うかによっても、大きく評価が変わるように思う。例えば、次世代のEメールとして使おうとすると、煩雑過ぎたり、Eメールの良さである、非同期性が損なわれる場合も多い。Google
WaveをEメール、IM、SNSなどすべてに代わるものなどと思ってしまうと、大きな間違いを起こすことになる。
まだ未完成のものなので、問題点も多いが、Googleはこれをオープンソースとして提供し、第三者にも、より簡単に新たなアプリケーションが、このWaveプラットフォーム上に構築できるよう、API(Application Programming
Interface)も提供する予定だ。したがって、Waveがこれからどれくらい成功するかは、今後の外部のソフトウェア開発者等の動きを含めて見る必要がある。Googleのデモにあるような、Waveをプラットフォームとして使い、プレーバック機能を使って、チェスの勝負をインターネット上で行ったときに簡単にその試合を再現できるようにするものなど、今後いろいろな面白いアプリケーションが出てくるだろう。
コラボレーションが、これから重要なものになってくることは、2008年1月に、Web 2.0、仮想ワールド、デスクトップ・ビデオコンフェレンス等の広がりという観点を中心に、このコラムで書いたことがあるが、このGoogle
Waveもコラボレーションを発展させる上で、重要なツールになるに違いない。類似したものは、Microsoftなども考えている可能性があるので、そのようなものも出てくれば、さらにコラボレーションの発展は早まるだろう。
私は今のところ、このようにGoogle Waveに対してポジティブな感想を持っているが、Googleがこれも無料のサービスとして提供しようとしていることには、少々懸念を感じる。もちろん、単純に無料でこのようなサービスが提供されることを喜ぶこともできるが、全くのタダというものはなく、なんらかの見返りをわれわれはGoogleに返すことになるからだ。
これまでのGoogleのサービスも基本的に無料だが、無料の代わりにGoogleは、われわれ個人がどのようなことをする人間かの情報をどんどん集めている。Googleはそれを使って、よりターゲットにあった広告を出せるようにし、広告主に高い価格で広告を売ろうというのがその戦略の基本だ。そんなことは別に気にしないで、無料のサービスを単純に喜ぶ人も多いだろう。逆に、どんな個人情報も知られたくないという人は、Googleのサービスを一切使わないかもしれない。それは、それぞれ個人が決めればいい話だが、要は、ある程度の個人情報が取られることを承知で、それでも使いたいと思うサービスかどうか、ということだ。
もう一つの懸念は、このような無料モデルでいろいろなサービスをどんどん提供されてしまうと、競合メーカーが育たない可能性も心配になる。このようなやり方が出来るのは、相当資金に余裕のある会社でなければならないからだ。この業界ではGoogle以外には、Microsoftくらいしか同じやり方で対抗できないかもしれない。そうなると、市場が寡占状態になり、市場の長期的な繁栄には、必ずしもいいとは限らない。
ユーザーにとって、無料サービスは確かに助かる。サービスが無料のために広告を見なければいけない、という民放テレビのような単純な広告モデルは比較的わかりやすい。しかし、無料サービスを使う代わりに個人情報を取られ、それがどのように使われるかよくわからない(サービスを受けるために承認する長い契約条項のようなものを解読すれば、わかるかもしれないが、微妙なところは恐らく裁判にでもならないとわからないだろう)、という状況は、あまり気持ちのいいものではない。単純に広告を見せられたり、多少のお金を払ったほうがすっきりすると思うのは、私だけだろうか?
黒田 豊
(2009年10月)
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